今日は少し思ったことをダラダラ書こうと思います。内容は読書について。
こんなこと言われた経験ありませんか。
「本を読め」「読書をしなさい」
みんなきっと小中高と、読書タイムあるよね。あったよね。(高校はなかったかも)
でも僕は思うんですけど、本当に読書ってそんなに大切かな、と。ハウツー本とか、知識本とか読んでいる人はまた別として、小説を好き好んで読んでいる人って、小難しかったり、社会性があんまり高くない人多くないですか。(僕自身もそうです)
やっぱり理屈っぽくなるというか、色々と考えすぎるようになると思うんですよね。
それで、ここで、「本を読め」って言う人側の心理を考えてみます。それって多分、「頭良くなるために、本を読め」だと思うんです。
頭良くなる→勉強できるようになる→良いところに就職できる→仕事ができる人になる
こうゆう発展系を言葉の裏側に見るわけです。
でも、仕事ができる人っていうのは、一般的には仕事が「早い」人なわけです。考えるより、行動なわけです。
小説を読んでいる人間が、「考える」を犠牲にして、スピードを出せると思いますか?僕は、できません。色々と考えて、考えた末の答え、結局その答えもベストかわからない、そんな風な非効率が、煮え切らなさが、葛藤や妥協が文学だからです。
だから、「本を読め」というならば、小説は読ませず、知識本やハウツー本を読ませるべきかなぁと思うのです。
本を読むのは、その本当の意味は、仕事には役に立たなくとも、人間そのものを豊かにするためです。それは、勉強するだけでは想像もできないほどの世界の広がりをくれる。クリエイティブになるために、答えのない答えを紡ぐための想像力と豊かな視点を与えてくれる。
本を読むことに意味はあります。でも強制させたらダメだし、リアルに目を向けられなくなるほどのめり込んでしまっても悲しい。
文学は、一生を超えた経験を与えてくれると僕は思います。まだ若造の自分が言うのはどうかと思うけれど、そう信じて僕はこれからも文学と、そして言葉と向き合っていきます。
今回はこの辺で。読んでくれてありがとう。
それでは、また会いましょう。